こんにちは、わたしです。
今日は、桜井章一『努力しない生き方』の書評になります。
一言でいうと、努力を疑う本です。
努力は嫉妬を生み、期待を生むのでやめろと会長は語ります。
努力せずに、遊ぶ
努力の代わりに、遊ぶことを勧めています。
難事がふりかかってきても、精一杯努力してそれを乗り切ろうということはしなかった。むしろ自分がどこまで可能性を持っているのか試してやろうと、挑むような気持ちで向かっていった。そうしているうちに、それは遊びのような感覚になっていくのである。
この感覚は、言葉では説明しにくいものです。
「お前は俺をどこまで遊ばせてくれるんだ?」みたいな心境でしょうか。裏プロで20年間無敗の雀鬼は伊達じゃない。
全てに対して「たいしたことない」「知ったこっちゃない」が口ぐせらしく、なんとも余裕を感じる態度です。かっこいいです。
で、桜井会長の余裕がどこから来るかと言うと、「工夫」から来ています。
そこにあったのはいつも「努力」ではなく「工夫」だったと思う。
自分がしてきた努力を信じず、自分がしてきた工夫を信じていたんですね。
卑近ですが、わたしは大学受験を「工夫次第で合格できそうだな」というところだけ受けました。努力をするのが嫌だったので……。経験則では、「努力」はときに無駄になり、「工夫」は無駄にならないです。
努力をしないからこそ、力を出せる
今、わたしは體の力を抜くことにハマっています。
上の記事でも書きましたが、工夫を学ぶには體の使い方を学ぶのが早いです。
私の尊敬する人は、立ち姿に無駄な力がなく、骨で立っているなーと思う人です。堂々としていながら柔らかい人は美しさを感じます。
努力と工夫の違いとは
さて最後に、個人的に考えた努力と工夫の違いです。
100の成果出す時に、1+1+1+1...と積み上げていくのが努力です。
一方、桜井会長のいう工夫は、「まず100iにiを掛けろ」「出てきた-100の絶対値を取れば100(の成果)だろ?」というようなもの。
「いや、どこから100i持ってきたんだよ」「絶対値を取る方法ってどうすんだ」とぼやくのは野暮なもの。
とりあえず、工夫をして100iを持ってくる。話はそこからでしょう。
工夫をして生きていくのに使える一冊です。
おわり